現在の「先祖代々之墓」は、墓石の下にカロートと呼ばれるセメント製の収納室があって、そこに骨壷を納める形になっている。あんな小さなスペースに、何十人ものご先祖の骨壷が入るわけがないのである。だから古い骨壷は出して合葬にするわけだが、昔からあるように思える代々墓は明治以降の産物、ということは覚えておいてもいいだろう。「家」の発想は明治から明治民法は、そんなわけで、冠婚葬祭にも大きな影響を与えたのだった。二一世紀になった現在でも、「家を継ぐ/守る」とは「墓を継ぐ/守る」ことと思っている人もいるのではないだろうか。お盆に墓参りに行けば、そこには「○○家」という氏が刻まれた墓が、断固たるたたずまいで屹立している。長男は「おれがこれを守らねば」と思い、嫁は「わかしはここに入るのね」と思う。子が独立し、住居が別でも、死ねば家の墓に入る。家とはつまり「同じ墓に入る人」の集合体なのだ。
井原西鶴は、「老いの楽しみ」が人生の目標だと言っている。西鶴の言葉に、「この人死光り」という。それは「死際が立派なこと」である。あるいは「死後に光る」すなわち死後にほまれが残るという意味であるという。高齢に達して死に際を立派にするという生き方は、若いうちからそれなりの年輪を重ねてきてはじめて可能になる。江戸町人の人生観には、「老後の良し悪し」を基準にする考えが生じていた。老後のことを「老入れ」と表現している。これは老いの時期に入ることを意識していたのである。「老後」というと後ろ向きの言葉であるのに対し、「老入れ」は、良い老後のときを迎えようとする生活の知恵を感じさせる。これは江戸の知識人のあいだに培われた老人観の一面をよく示している。「死光り」とか「老入れ」で表現される老人観とは別に、ここでは、むしろ民間伝承の世界で考えられていた老人観にスポットをあててみよう。結論からいうなら民俗学が扱う老人の問題は、「老い」そのものがプラスになるという認識に支えられている。一般に、「老い」といえば、若さに対しての老いということであり、若さとの対照は、老いがすでに盛りを過ぎていて、若さのもつプラスイメージには到底かなわないという考え方であるが、民間伝承の世界には、「老い」についての興味深い見方があった。すなわち〈オイ〉には、「追加する」という意味があった。たとえば、伝統的な結婚式にさいして、花嫁が花婿の家に入ったときに祝われる「入嫁式」のことを「オイコミ」という地方がある。オイコミのあとに三三九度をして酒盛りとなった。その酒盛りをまた「オイサカ」といっている。これらは土地の表現であり、漢字はあてはめられていないから正確にはわからないが、「オイサカ」には瑞兆とか吉兆の意味があったと考えられる。
「会社の電話で私用電話をしてはいけない」ということはほとんどの人が理解していると思うが、携帯電話についての認識が間違っている人が多い。「自分で料金を払っているんだから、いつ何に使ってもいいでしょ」と思うかもしれないが、原則として、業務時間中は私用電話禁止だ。仕事に使わない個人所有の携帯は音が鳴らないようにするか、手の届くところに置かずロッカーなどに入れておくこと。業務中にムダなおしゃべりをしてはいけないのと同じで、私用電話が許されるのは、お昼など決まった休憩時間帯だけだ。また、プレゼンや打ち合わせなど、人と話している途中で携帯電話に出るのは、よほどの場合に限られる。打ち合わせ中、鳴った電話に、まわりに一言も断らずに出て「はい、あ、うん。じゃあ、今日夜7時ね」では、仕事がおろそかだと思われても仕方ない。業務の内容によっても線引きがむずかしいが、やはり「公私混同しない」はビジネスの基本。自分は仕事の対価として会社から給料をもらう立場だということを、肝に銘じよう。